今思うこと

長い間、投稿していませんでした。コロナのこともあり自宅にいることが多くなりました。

このサイトの趣旨ではありませんが思うことをつらつら書きます。

この世界はどうなっていくのでしょうか。
世界を動かしているのは誰なんでしょうか。
何が正しいことなんでしょうか。何が悪いことなんでしょうか。

世界は自滅しようとしているように思える。
地球の環境をこわさないように声高にさけびながら心地よい暮らしはやめられない。
戦争はいけない。人殺しはいけない。わかっていながら人を追い詰める。

人は生きようとする。生きる目的は何か。誰も確かなことは言えない。
でもこころの奥底で人より上をめざそうとしている。
そうではないと人は言う。ではあなたの生きる目的はなにか。
私も生きる目的はなにかわからない。
確かなことは心地よいことは好きです。それは一人では味わえない。
しかしそれだけでは生きていけない。そうお金が必要。
お金がないとこの世界は生きていけない。

今、私は日本で生きています。この国は今は豊かなようです。
半分くらいは豊かな暮らしをしているようです。
どこからが豊かなのかは知りません。でも豊かではないと思っている人も多いでしょう。
人によって豊の境界は違うのは確かでしょう。豊かなのか。貧しいのか。
その違いはお金がどれくらいあるか。のようです。

人は豊かな暮らしを捨てられない。一度、経験した暮らしを元にはもどせない。
人は他人といつも比べる。上と下を感じて生きている。
下には戻れない。下と思った人の暮らしには我慢できない。

大昔から人に上下があった。身分もあった。
大昔から人は上にいきたかったのでしょうか。そうかも知れないし、そうではないかも知れない。
昔のことはわからない。
今も上下はある。みんな上に行きたい。そうでないと言う人もいる。私もそう言う。
でも、少なくともこの日本ではお金が上下の指標である。それ以外は比べにくいから。

私は日本で生まれて日本に住んでいます。
日本は民主主義国家です。資本主義国家です。自由資本主義というらしいです。
ここ200年以上、日本人は自由資本主義のなかで生まれ育って死んでいき、空気のように感じています。

この国で自由資本主義は正義でしょうか。ほかにも正義はあると人はいうでしょう。
その意見は「ほか」なので置いておきましょう。自由資本主義は正義なのか考えてみたいです。
逆説的に論じると自由資本主義は悪ですか。豊かな人にとっては悪ではないでしょう。
豊かでない人にとって悪かもしれない。でも、そこから外れて生きていけないなら悪とはいえない。
だから正義なのでしょう。

ここから先は、ここまでの前提で「今起こっている戦争」「地球の環境」を考えることにします。

自由資本主義とはなにか。ちょっと考えてみます。
資本主義とは
「生産手段を資本として私有する資本家が、自己の労働力以外に売るものを持たない労働者から労働力を商品として買い、
それを上回る価値を持つ商品を生産して利潤を得る経済構造。」らしいです。
(出典:https://www.weblio.jp/content/%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9)
資本主義の前についている自由とは自由に資本として私有できることのようです。
自由資本主義の正義の中で上を行くこととは… どうも利潤をまた資本にして利潤を増やすことのようです。

今この日本(自由資本主義を掲げる国?)ではこの利潤を増やすことがいいことのようです。
思い返してみると、子供のころ(1960~70)は新しいものがたくさん生まれてたくさん作られていました。
企業が利潤をまた資本にして利潤を増やすため、新しいものをたくさん作る。
そうやって資本家は財産を増やし、労働者は労働力を売って生活をしてたんですね。

人は新しいものが必要で豊かさを感じ、人口が増えるにつれたくさんものが必要になる。
これを市場というようです。
自由資本主義の国には、市場が必要なようです。

自由資本主義で豊かな国を先進国と言っているようです。日本もいまのところ先進国のようです。
先に進むというのは自由資本主義を突き進むことのようです。

先に進むためには市場が必要なようです。

市場とは「新しいもの」と「買ってくれる人」だと考えます。

「新しいもの」から考えてみます。

新しいものとは何か私なりに考えてみました。今は2022年です。
スマホ・SNS・電気自動車や自転車・ネットサービスやアプリ・電子マネー・暗号資産 などなどを思いつきます。
子供のころ新しかったものは
全自動洗濯機・カラーテレビ・エアコン などなど
新しいものと新しかったものを比べてみると、
・最近は労働力があまりいらない。もっというと単純な労働力があまりいらない
・エネルギーを多く使う。(反論があるかも知れませんがサーバに使う電力は家庭で使う電力の比ではありません)
の違いがあるようです。
やっぱり、労働者にはありがたくない方向にいるようです。そしてたくさエネルギーが必要なようです。

資本家の人にとっては気にならない事かも知れません。
でも労働者は「買ってくれる人」でもあります。買ってくれる人の仕事がすくなくなるとお金が少なくなる。
当たり前のようにお金をあまり持たない人には安く売る。なので利潤が少ない。

余談ですがこう考えるとGDPが景気の指標だったのは子供のころのことなんでしょう。
売り買いした総足し算であるGDPが多いと資本家も労働者も豊かになる。
でも今は総足し算しても利潤も少なく労働者もあまり必要ではない。ということはDGPが多くなっても豊かであるとは言えない。
でも政治家さんや経済学者はGDP=景気と考え続ける不思議。

余談はおわりで。だから日本は豊かという実感がないんでしょうね。
しかしエネルギーを多く使うので豊かでない国がエネルギーを買うことに無理がある。

ではエネルギーを買うお金はどうするんでしょうか。
ふつうは、ほかの国にものを売ったお金で買うのでしょう。
ちょっと前までは買ってくれるものはたくさんあったでしょう。電気製品、自動車…
なぜ買ってくれたのか、新しかったものは他の国のものよりすぐれていたからでしょう。
今の新しいものは他の国より優れているのでしょうか。そうとは思えない。

「買ってくれる人」を考えてみます。

日本という国の中で買ってくれていた人は労働者です。今は単純な労働力はあまりいらなくなっているようです。
まえほど買ってくれなくなります。
日本にはエネルギーがありません。買わなければなりません。買うためには他の国にものを売らなければなりません。
日本のものを買ってくれるでしょうか。日本が必要なエネルギーを買えるほど買ってくれるとは思えません。
ものを買ってくれる豊かな国はどれくらいあるのでしょうか。
私が子供の頃は、まだみんながものを持っていなかった。豊かになりつつある国がたくさんあった。
だから買ってくれました。今はそれほど買ってくれないでしょう。

「もし」を考えてみます。

もしまだ豊かでない国が豊かになっていき、たくさんものを買ってくれたなら。
資本家たちの利潤が増えます。でもエネルギーはたくさん必要です。
エネルギーをたくさん使うとどうなるでしょうか。地球は人が生きていける環境なのでしょうか。

もしまだ豊かでない国がそのままなら、「買ってくれる人」をどの国も増やさなければならないようです。
少なくとも自由資本主義の国では。
その方法は何があるのでしょうか。買ってくれる国を取り合う方法を思いつきます。

どちらにしても世界はよい状態になると想像できません。

自由資本主義のなかで生きてきたわたしには信じられないことがあります。
人はSDGsというかっこいい言葉で主に地球環境を守ろうといいます。
戦争はよくないといいます。
ほんとうに心の底から思っているのでしょうか。
自由資本主義の国は豊かな国が多いでしょう。
今の豊かな暮らしそのままで戦争もせず地球環境もよくしようなんて本気で考えているのでしょうか。

ここからは資本主義について考えてみます。

自由資本主義とは政府に統制されず自由に投資と生産をしてよいことのようです。
わたしはこの自由資本主義のなかで生きてきたのでそれが当たり前で正義と思っています。
自由資本主義なかで生きてきた人はほとんどそうだと思います。

自由資本主義ではない国、例えばロシア・中国、中東の国々。
自由資本主義で新しいものを作れない国、アフリカの国々や中南米の国々。
全体主義の国々と後進国と呼ばれる国々があるようです。
そして自由資本主義の国々は西側諸国と呼ばれているようです。

日本で生きてきた私たちは自由資本主義が正しいと思っています。
少なくとも労働者であるわたしは自由資本主義が正しいと考えています。
多くに皆さんもそうだと思います。
資本家と言われる人たちは、市場を広げるために後進国や全体主義を自由資本主義にしたくなると思います。
もしわたしが資本家ならそう考えます。

後進国と呼ばれる国々のひとたちは、自由資本主義の国になりたいのでしょうか。
自由資本主義の豊かな暮らしを見た人は、そんな国の国民になりたいと思うでしょう。
でもその多くの人は労働者として自由資本主義に取込まれるでしょう。
今の日本の労働者とおなじように豊かな暮らしにはなれないでしょう。
ほかにこれまで信じてきた信仰にそぐわないと思い自由資本主義になりたくない人もいるでしょう。

わたしたちが信じてきて良いものと思っている自由資本主義は彼らにとって悪でしょう。

世界中でテロが起こっています。わたしたちはテロはよくない。むくな市民を殺すのは悪だとわたしたちは言います。
彼らにとって悪は自由資本主義であり敵なのではないでしょうか。
わたしたちが思う無垢な自由資本主義の資本家や労働者が彼らにとって敵ではないでしょうか。

全体主義の国は、国家資本主義を取り入れているようです。すくなくとも大国である中国とロシアでは。
それらの国で生きているひとたちは不幸でしょうか。国家の許す範囲で生きていると不幸ではないのでしょう。
中国の上海に住む人たちが不幸には見えませんでした。
言論の自由がないといいますが、今、日本でほうとうに言論の自由を謳歌している人がどれくらいいるのでしょうか。
ほとんどの人たちは言論の自由より生きていくことの方が重要ではないでしょうか。
中国もロシアも、ひとびとが生きていくことを優先していると考えてみます。
それらの国に自由資本主義を押し付けられたら、迷惑ではないでしょうか。
わたしたちは心の奥底まで自由資本主義がしみ込んでいるので、自由資本主義を押し付けようとしてしまい。
自由でないと「それはおかしい」と考えてしまっているように思います。

人は自分たちと違う考え方をする人を仲間はずれにします。いじめです。
おなじことを国家の間でやっていませんか。
自由資本主義の資本家は市場を広げるために国家資本主義の中で利潤を得ようと思い。
思い通りにならないと民主主義を唱えていじめようとする。
自由資本主義の労働者は、それが正義と信じていじめに賛成する。

いじめられたら反発する。そんなことが起こっていませんか。
反発を抑えるためにとれる方法は戦争以外に解決方法があるのでしょうか。

このままでは世界は自滅しそうに思えます。
自滅させるのは、一部の独裁者でしょうかテロリストでしょうか。
自由資本主義の資本家でしょうか労働者でしょうか。
みんなで自滅しようとしているのではないでしょうか。

ここまで、読んでくださった方に感謝します。ありがとうございます。
私は文章がへたくそです。だから、思っていることを正確に書けていないです。

でもこのままでは世界は自滅すると思います。
でも解決する方法を思いつきません。
いっしょに考えてくださる方がおられたら「Contact」から返信ください。

たくさんスパムがくるので返信みつけるのに時間がかかるかもしれません。

お許しください。

About Kyoto , Japan and World… Remember what is really important.

I was absent from posting for a long time. sorry.
The COVID-19 outbreak has had an impact on me and Kyoto.

長い間、投稿を休んでました。ごめんなさい。
コロナの流行のおかげで、私にも京都にも影響がありました。

But I and Kyoto are still alive. I and people in Kyoto struggle to live.

しかし、私と京都はまだ生きています。 私と京都の人々は生きるのに苦労しています。

The Japanese government has issued a leave request and tried to suppress the epidemic of COVID-19. People demanded money from the government in return. Currently, the Japanese government has not issued a leave request, giving priority to economic activities.

日本政府は休暇申請を出し、COVID-19の蔓延を抑制しようとしました。 代わりに人々は政府にお金を要求しました。 現在、日本政府は経済活動を優先して休暇申請を出していません。

There seems to be similar countries in the world.

世界には、同じような国々があるようです。

It’s a bit sad to see the government and people seeing only the economy. Before the modern economy, the government considered people, and people considered people. When the infectious disease was widespread in the days when Kyoto was the capital, the government tried to quench the wrath of God to help people, and people prayed to God for someone important.

政府と国民が経済だけを見ているのを見るのは少し悲しいです。 近代経済以前は、政府は人を、人は人を考えていました。 京都が首都だった時代に感染症が蔓延したとき、政府は人々を助けるために神の怒りを鎮めようとし、人々は誰かが大切な誰かのために神に祈りました。

In ancient Japan, the gods were something invisible in nature.

昔の日本において、神とは自然の中にいる何かでした。

People at that time are unscientific. But people loved people and nature. Today, people are kicking people away and destroying nature for money.

昔の人は非科学的化です。しかし、人は人と自然を大切にしていました。今の人間は、お金のために、人を蹴落とし、自然を壊します。

I think the earth says: Remember what really matters.

私は地球がこう言っているように思います。「本当に大切なことを思い出しなさい。」

About the content of this blog

Occasionally, I’m contacted with the comment, “Can you quote?”
My content is what I wrote and the photos were also taken by me. And there is no copyright. Please use it freely.

Mibu-ji Temple (壬生寺)

壬生寺を紹介します。今は、幼稚園を経営されたり、近所の老人たちが掃除されたりしている静かなお寺です。

I introduce Mibu-ji. Today, it is a quiet temple where a kindergarten is run and old people in the neighborhood are cleaned.

しかし、私が二条城や蛤御門のBlogで紹介した頃には、このお寺には、”新選組”と言う武力集団が駐屯していました。

However, when I introduced it in the blogs of Nijo Castle and Clam Gomon, an armed group called “Shinsengumi” was stationed at this temple.

彼らは、当時の政権に雇われた武士たちです。その役割は、京都で新しい時代を作ろうとする若い武士たちを排除することでした。

They are samurai hired by the then administration. Its role was to eliminate young samurai who wanted to create a new era in Kyoto.

写真はそのリーダーの近藤勇さんです。The photo  is the leader, Isami Kondo.

 

強い集団であるために、彼らの鍛錬は厳しく、戦いにおいては相手に背中を見せることを許されていませんでした。

Due to their strength, their training was severe and they were not allowed to show their backs in battle.

一説によると、彼らは貧乏な侍が多く、食べる目的や政権に認められるために集まったそうです。

According to one theory, they are often poor samurai and gathered for the purpose of eating and being recognized by the administration.

当時、京都市民からは嫌われていたそうです。

At that time, he seemed hated by Kyoto citizens.

二条城のBlogで紹介したように、1867年に当時の政権はなくなり新しい政府ができました。

As introduced in the blog at Nijo Castle, in 1867 the administration at that time disappeared and a new government was created.

しかし、彼らは古い政権側の武士たちと共に新しい政府に反抗し、最後は日本の北である北海道で死に絶えました。

However, they rebelled against the new government with the old government samurai and eventually died in Hokkaido, north of Japan.

今、日本人は新選組が好きです。写真のように、あとの時代に慰霊碑を建てた人もいます。

Now, Japanese like Shinsengumi. Some people built monuments in later times, as shown in the picture.

私は、彼らは新しい政府で生きることができないと考え、消えるために戦ったような気がします。

I think they fought to disappear, thinking they couldn‘t live in the new government.

 

蛤御門(京都御苑) Hamaguri Gate in Kyoto Gyoen

Kyoto Gyoen (Kyoto Imperial Garden ) was the home of the Japanese emperor.  Now the Emperor lives in Tokyo. Therefore, the Emperor is open as a place for citizens to relax in Kyoto Gyoen like a park.

京都御苑は、日本の天皇の家だったところです。今、天皇は東京にお住まいされているので、天皇は京都御苑を公園のようにして市民の憩いの場として開放されています。

The photo shows Shishinden, where the emperor was working. Unlike samurai castles, there are no tall walls or stone walls.

写真は、紫宸殿といって、天皇が執務をされていた場所です。武士の城と違い、高い壁や石垣はありません。

One of the gates of Kyoto Gyoen is a gate called Hamaguri  Gomon (Clam Gate). This is also a small gate and does not seem to have much defense.

京都御苑の門の一つに、蛤御門という門があります。これも小さな門で、あまり防御力はなさそうです。

In 1864, there was a big incident at this small gate. At that time, in order to create a new era, a young Samurai group from Choshu and the young Samurai from Satsuma were active. However, these two groups were not good friends. The Choshu group was inferior, and they went to this gate to ask the Emperor to recover the inferiority. However, Satsuma group suppressed them with force.  Young samurai lost their lives. Later, the two groups stopped conflicting. And they started working together to create a new era.

Three years later, the “Taiseihoukan”  I introduced last time was realized.

1864年、この小さな門で大きな事件がありました。当時、新しい時代を作ろうとして、長州藩の若い武士グループと、薩摩藩の若い武士グループが活動していました。しかし、この2つのグループは、仲が悪かったのです。 長州グループは劣勢で、劣勢を回復しようと天皇にお願いしようとし、この門に進軍しました。しかし、薩摩藩は、彼らを武力で制圧したのです。志を持った若い武士が命を落としました。

のちにこの2つのグループは、対立するのをやめました。そして、彼らは、協力して新しい時代を作る活動を始めました。

3年後に、前回紹介した「大政奉還」が実現されました。

There are still bullet holes in this gate.

 

Nijo Castle 二条城

I’ve been absent for a long time. Today is Nijo Castle. It is a sightseeing spot in the center of Kyoto that can be reached by bus from Kyoto Station.

久しぶりの投稿です。今日は二条城です。京都の中心部にあり京都駅からバスで行ける観光地です。

This castle is the castle of the Tokugawa family who ruled Japan from 1603 to 1868. Tokugawa was in Tokyo, but stayed here when he met the Emperor in Kyoto.

この城は、1603年~1868年まで、日本を統治した徳川家のお城です。徳川は東京にいましたが、京都に天皇に会うときに宿泊していました。

The stone wall of this castle is beautiful. There are many stone walls in the castle

この城の石垣は美しい。お城の中にたくさんの石垣があります。

Wood and stone are in harmony.

木と石が調和しています。

This season is especially beautiful as the trees begin to change color.

今の季節は、木々が色を変え始め特に美しいです。

This castle had a major event that changed Japan in 1867.

While other countries were colonized, the Tokugawa family was an independent state because Japan was closed.

However, the young Samurai rebelled as the Tokugawa family tried to open Japan abroad.

Many young samurai were sacrificed, but some cool young samurai persuaded Tokugawa.

On Tokugawa’s politics, Tokugawa, who understood that he could not cross the world, announced “Taiseihoukan” to his subordinates on November 9, 1867.

“Taiseihoukan” means “returning politics to the emperor”.

The young samurai and the emperor made the current Japanese prototype.

この城では1867年に日本を変える大きな出来事がありました。

他の国が植民地になっている中で、徳川家は日本は閉鎖していたため独立国家でした。

しかし、徳川家が日本を外国に開こうとしたため、若い武士が反抗しました。

若い武士たちは多く犠牲になりましたが、一部の冷静な若い武士が徳川を説得しました。

徳川の政治では、世界と渡り合えないと理解した徳川は、1867年11月9日に、

ここで”大政奉還”を部下に発表しました。

”大政奉還”とは、”政治を天皇にお返しする”という意味です。

そして、若い武士と天皇が今の日本の原型を作りました。

I thank Tokugawa and the samurai who ended the samurai era.

私は武士の時代を自ら終わらせた徳川と武士たちに感謝します。

Nishijin 西陣

Today I will introduce an area called Nishijin.
Nishijin is an area famous for the production area of fabric called Nishijin Ori.

今日は西陣というエリアを紹介します。
西陣は、西陣織という生地の産地で有名なエリアです。

It is a fabric that makes the Japanese traditional costume “Kimono”, but  Recently Nishijin has making only high quality fabrics.

日本の伝統衣装「着物」を作る生地ですが、最近では西陣は高品質の生地しか作っていません。

The reason is that fewer people wear kimonos and fewer craftsmen who have the special ability to make Nishijin fabrics.

着物を着る人が少なくなったことと、西陣織を作る特殊を持った職人さんが少なくなったのが原因です。

There is a shop where craftsmen who love Nishijin weave show their technology. Since they don’t want to break their skills, they want many people to know Nishijin Ori.

When I was a kid, I heard the weaving of the fabric every day in this town.
I think the sound was pleasant when it was gone.

私が子供の頃は、この町では、毎日、織物を織る音が聞こえていました。
その音が心地よかったと思うのは、それが無くなった時ですね。

If you come to Kyoto, please stop by Nishijin and see Nishijin Ori. I want you to feel its beauty.

Mt. Funaoka 船岡山

Today, I will introduce Mt. Funaoka. A small mountain just north of Kyoto city.

今日は、船岡山を紹介します。京都市街のちょっと北にある小さな山です。

Walking west from the ”Senbon Kuramaguchi” bus stop, you can find the entrance to Funaokayama. Since it is difficult to find, ask people “Funaokayama”. Go up the stairs and you will find the Kenkun Shrine.

It seems that Mt. Funaoka was a sacred place where power came out in Kyoto about 1000 years ago.

般岡山は、1000年くらい前、京都でパワーのわき出す聖地だったようです。

The stone steps continue.

石段が続きます。

Finally arrived. I pray.

やっと到着、聖地でお参りします。

Here, cleanse yourself. Shake this left, right, left. And in front of the temple. Bowed twice, applauded twice, and thanked. Because there are no people, my applause sounds.

ここでは、自分で身を清めます。これを左・右・左に振ります。そして神殿前で。2回頭を下げ、2回拍手、そして一礼。あまり人がいないので、自分の拍手の音が響きます。

There are not many shrines that you clean yourself.

After praying, I will walk to the summit of Mt.funaoka.

お詣りの後、般岡山山頂へ歩いてみます。

Today, the city is 38 [° C] , but this road is a bit cool.

今日、市街地は38℃ですが、この道はちょっと涼しいです。

I walked this road and remembered that I came here on an elementary school excursion.

Arrived at the summit in about 5 minutes from the shrine.

神社から5分ほどで、山頂へ到着。

Although it is a small mountain at an altitude of 111.89m, you can see Kyoto city well. The photo shows Kyoto City looking from north to south. Now it’s just a building, but 1000 years ago you could see the orderly cityscape of the Japanese capital “Heiankyo”.

標高111.89mの小山ですが、京都市街がよくみえます。写真は京都市がを北から南に見ています。今はビルばかりですが、1000年前は日本の首都”平安京”の整然とした街並みが見えたのでしょう。

Kinkakuji

I am sorry for the rest for a long time. Today I went to Kinkakuji in the last sequel.

長い間、お休みしてごめんなさい。今日は前回の続きで金閣寺に行ってきました。

I walk for about 15 minutes to the north from the last goal “Hirano Shrine”.

前回のゴール「平野神社」から北に向かって15分くらい歩きます。

It is Kinkakuji when you turn the intersection with a signboard to “Kinkakuji” to the left. It is near the mountain of the character of “大” which was introduced in the last blog.

It seems to be a World Heritage Site. I did not know. I have been 40 years ago. I bought amulet amulet and entered.

This is Kinkakuji. Not all gold but gold on the surface.About 400 years ago, it is a villa built by a Japanese authority named Ashikaga.

Many Kyoto temples and shrines are built near the mountains. The gardens are built with the mountains in the background. The gardener also seems to care for the mountain trees in the back. However, the mountain behind is not the mountain of Kinkakuji. In Kyoto, there are ordinances in which you should not build a building in vain to preserve the scenery.This garden is also protected by the ordinance.

多くの京都のお寺や神社は、山の近くに建てられています。それらの庭は、背景になる山も取り入れて作られています。庭師は、後ろにある山の木も、手入れをするらしいです。しかし、後ろの山は金閣寺の山ではありません。京都には、景色を保存するため、むやみに建物を建ててはいけない条例があります。この庭も条例に守られています。

This is where I think Kinkakuji is amazing. Beautiful from any direction.

私が金閣寺がすごいと思うところはこれです。どの方向から見ても、美しい。

The large garden is a long long uphill.

大きな庭園は、長い長い上り坂になっています。

It is very humid and hot today during the rainy season. Many foreign tourists are coming, but it seems that you are tired. When the rainy season opens, the temperature in Kyoto will be 40 degrees. I think it is better to have a bottle of water for sightseeing.

The return is downhill.
帰りは下り坂です。

It is a powerhouse who built such an ugly villa, but the old wives no longer trust, and they had started war in Japan aiming at the top of Japan.

こんな凄い別荘を建てた権力者ですが、昔の侍たちは信頼しなくなり、侍たちは日本のトップを目指して日本中で戦争を始めてしまいました。

It is a Sengoku period from the end of the 15th century to the end of the 16th century.

From Hakubai-cho To Kinugasa 白梅町~衣笠

Thanks for the lots of comments. I’m busy with my work (I don’t have much income), so I’m sorry I couldn’t update my blog. Today, the weather is nice, so I will introduce the road from Hakubai-cho to Kinugasa.

たくさんのコメントありがとうございます。私は、仕事(あまり儲からない仕事です)が忙しく、Blogの更新ができなくてすみません。今日は、天気がいいので、白梅町から衣笠までの道を紹介します。

First is Shiraume-cho. The meaning of Japanese is “white plum”. There is a small station here, and there is a single train running. The distant mountain in the photo is Arashiyama.

If I have enough time, I would like to get on the train and introduce “Arashiyama”.

まず、白梅町です。日本語の意味は「白い梅」です。ここには、小さな駅があって、一両編成の電車が走っています。写真に写っている遠くの山が「嵐山」です。

時間に余裕があったら、電車に乗って「嵐山」を紹介したいと思います。

Today, I walked from Hakubai-cho to the north, looking at the Hidari Daimonji mountain. The letter “大” are written on the mountain. In Japanese, it means “Big”. Every year on the night of August 16th, Kyoto has an event called “Fire of the Five Mountains”, and this mountain also has a “大” light.

今日は、白梅町から北へ向かって、左大文字山を見ながら、歩きました。「大」という文字が山に書いてあります。日本語では”Big”という意味です。毎年、8月16の夜に、京都では「五山の送り火」という行事があり、この山にも「大」の形に灯がともります。

Walk for about 10 minutes and you will find a shrine. A lot of people visit during the cherry blossom season, but usually this is a shrine where people come to pray. There were no people today and it was very quiet.

There are many such shrines in Japan. I pray while imaging at a shrine that it does not happen when there is something uneasy.

10分ほど歩くと、神社があります。桜の季節には、多くの人が訪れますが、普段は、このあたりの人がお祈りにくる神社です。今日も人がいなくてとても静かでした。

このような神社は日本にはたくさんあります。私は、不安なことがあると、それが起こらないことを神社でイメージしながらお祈りします。

There is a power stone under the big tree. It contains a lot of iron, and if you attach your own magnet, you will be able to bring back the power. I touch by hand. I hope that the power will increase.

大きな木の下にパワーストーンがあります。鉄を多く含んでいて、自分の磁石をくっつけると、パワーを持って帰れるそうです。私は手で触ります。パワーが増えるととを願います。

There is a famous temple called Kinkakuji within 15 minutes on foot from here. Next, I may introduce Kinkakuji.

ここから歩いて15分のところに、有名な金閣寺というお寺があります。次は、金閣寺を紹介するかもしれません。